還是深陷在村上春樹的散文中無法自拔。

最近除了雜文集之外,也開始閱讀了「職業としての小說家」這本散文集。

一樣有很多文字觸動自己的心。

有些是「真巧,我也是。」

有些是「咦,會有人這樣想啊。」

有些是「嗯,跟我的想法剛好相反呢。」

 

職業としての小說家- 学校について

p.191 いずれにせよ、大学を何とかようやく卒業したときは、「ああ、これでもう学校には行かなくていいんだ。」と思ってほっとしたことを覚えています。

這句話是,真巧,我也是。

 

村上ラジオ- ロードス島の上空で

p.34 「そうだ、我々はごく当たり前に生きて、お昼に親子丼を食べて、冗談を言って笑っているけれど、ちょっとした風向きの変化で簡単に消滅してしまうようなはかない存在なんだ。」と実感する。

p.36 「飛行機のエンジンが止まると、あたりはしんとした。風のうなりだけがかすかに耳に届く。よく晴れた秋の午後、雲ひとつない、世界中が余すところなくクリアに見えた。ごつごつした山の稜線や、松の木立ちや、点在する白い並みが眼下に広がり、向こうにエーゲ海が光っていた。僕はその上を漂い、さまよっていた。すべては非現実的に美しく、静かで、ずっと遠くにあった。」

想起七月初的神戶小旅行,也曾有過類似的經歷。而幸好平安幸運地繼續活下來了。「僕はもう一度自分の肉体を取り戻し」,這句話既美又貼切。

 

職業としての小說家- 時間を味方につける-長編小説を書くこと

p.155 「僕自身、過去に書いた作品については。決して満足しているわけではありません。...でもその作品を書いた時点では、きっとそれ以上うまく書くことは僕にはできなかっただろうと、基本的に考えています。自分はその時点における全力を尽くしたのだということがわかっているからです。かけたいだけ長い時間を書け、持てるエネルギーを惜しみなく投入し、作品を完成させました。いうなれば「総力戦」をオールアウトで戦ったのです。」

總是會對於過去自己曾獲得的或是曾表現出的感受到羞愧。而基本上也是不會回顧的個性。不過這段文字相當有溫度,也很具有積極性。是啊,至少在當下,我是已經盡全力的了。所以換句話說,就是因為現在的自己能力更好了,所以才可以對過去曾經已經付出全力的自己所產出的成果感到不滿足與羞愧吧!だから後日「あそこはこうしておけばよかったな」と悔やみようなことはまずありません。

 

職業としての小說家- さて、何を書けばいいのか?

p.115 「頭の中にいろんなことをそのまま放り込んでおくと、消えるべきものは消え、残るべきものは残ります。僕はそういう記憶の自然淘汰みたいなものを好むわけです。」

這論點我還挺喜歡的。是啊,何須強求呢?殘酷點來說,可以用「天擇」來說明;哲學一點來說,可以用「既來之則安之」來應對。而且就算再怎麼強留於腦中,終究生命的逝去還是會將一切再次化為虛無。

 

職業としての小說家- とこまでも個人的でフィジカルな営み

P.182 「強い豊かな才能があれば、それは必ずいつか花開くものだ」と主張人もいます。しかし僕の実感から言えばー僕は自分の実感についていささかの自信を持っているのですがー必ずしもそうとは限らないようです。その才能が地中の比較的浅いところに埋まっているものであれば、放っておいても自然に噴出してくるという可能性は大きいでしょう。しかしもしそれがかなり深いところにあるものなら、そう簡単には見つけられません。それはどれほど豊かな優れた才能であったとしても、もし「よしここを掘ってみよう」と思い立って、実際にシャベルを持ってきて掘る人がいなければ、地中に埋まったまま永遠に見過ごされてしまうかもしれません。

所以其實並非所有的人都是懷才不遇的。如果對自己的能力很有信心,卻總是被動地希望有位「伯樂」來發掘自己,但自己卻不曾努力去展示、去付出,那麼這不叫做懷才不遇,這應該首先叫做緣木求魚。

 

職業としての小說家- とこまでも個人的でフィジカルな営み

P.176 僕がここで言う「強い心」とは、実生活のレベルにおける実際的な強さのことではありません。実生活においては、僕はごくごく当たり前の出来の人間です。つまらないことで傷つくこともあれば、逆に言わなくてもいいことを言ってしまって、あとでくよくよ後悔することもあります。誘惑にはなかなか逆らえないし、面白くない義務からはできるだけ目を背けようとします。些細なことでいちいち腹を立てたり、カと思うと油断してうっかり大事なことを見過ごしてしまったりします。......しかし小説を書くという作業に関して言えば、僕は一日に五時間ばかり、机に向かってかなり強い心を書き続けることができます。

所謂的強大,並非是全面的。因為針箭有可能從四面八方找到縫隙就鑽進,但我們無法全面地罩上防護網,所以總是需要有所擇有所捨。喜歡文章中對於「普通人」的種種內心脆弱舉例。つまらないことで傷つくこともある。總覺得這個つまらないこと用的真棒。即使只是瑣碎、甚至根本沒什麼大不了的小事,卻總還是能夠把我們仍不夠堅強的內心割劃個幾刀。但是也許只是因為那並非會影響到我們內心真正所「重視」的,所以可以輕易地傷到,輕易地在那沒有特別去留意所以沒有罩上防護網的地方留下傷口。但若是對於我們所珍重的,就必須要務必守住了。對作者來說,那必須要守住的就是「寫作」了。

 

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